人生半ばの童貞

36年のクソ人生を考える

処女

 私は処女信仰という病気にかかっている。この処女信仰は嘘つきや盗み癖や嫉妬深さと同じように全くもって道徳的に悪いことであり、何の役にも立たず、誰もが嫌な思いをし、全く合理性の欠いたものであり、そして最悪に醜悪な感情であり、一刻も早く捨て去りたい病気であることを強く感じている。

 

 処女信仰いっても私の場合は正確には性交の有無ではなく、本気で付き合ったことがあるかどうかこそが重要である。誰とも本気で付き合った事ないが100人切りを果たした女性がいるのならばそれは個人的には大丈夫である。だが、この100人切りを果たした女性が本当に誰とも愛し合わなかったのか信用できるかどうかはまた別の問題である。まあ、処女がいい。

 

 童貞の多くはこの処女信仰に悩まされていると言われている。普通こういうことは周りには言わないから聞いたことはないが、自分もそうだからそうなんだろうとは思う。この処女信仰さえなければ童貞も女性もだれも嫌な思いをしないで済む。童貞がネットで非処女のことを悪く言っているが本心ではないだろうと思う。非処女は正しく自然である。童貞は自分自身が憎いのだ。

 ただただ、自身がやるべきことやらずに時を過ごしてしまったことが辛いのだ。恋愛経験のある女性と付き合うことは童貞の辛い時代を否定にしてしまうのだ。恋人と一緒にいたクリスマスの経験がない童貞の自分が愛するのは、クリスマスに他の男性といた非処女ではなく、自分と同じようにクリスマスにずっと一人で耐えてきた処女じゃないと報われないと考えてしまうのだ。童貞の期間が長ければ長いほどそう思うようになった。

 

 私、35歳、童貞で処女信仰は絶望的である。5年間片思いしていた相手も処女だと思っていた。勘違いだったけど。なんとかこの処女信仰を捨て去らなければ一生童貞は確定である。

 しかし、処女信仰を捨て去ることができるだろうか。捨てることは今までの童貞生活の辛さを受け入れることである。そのような心の強さを持ちたいとは思うが困難である。長い間童貞で非処女の女性と付き合うことの葛藤を克服した人は強いし、優しい人だと思う。この苦しみ葛藤は自業自得のものだし、情けないし、誰にも話すべきではないし、話したとしても誰にも評価されないだろうけど、俺のような35歳童貞にとって克服した人は素晴らしい人だと思う。

 あと、恋に落ちれば処女とかは気にならない気もする。恋に落ちるとはそういうものだろう。交通事故みたいなものだ。いきなり遭う、落ちる。

 でも、そんなもの来るか、35歳で童貞だしな。いろいろ終わってんな。俺。背筋がゾクゾクする。来年VR買おう。VRでエロい事しよう。