人生半ばの童貞

36年のクソ人生を考える

童貞

 夜、大学の時に一人でベットに眠っている自分を見ている夢を見た。なにかしようとしてなにもできなかったと毎晩思っていた時代である。まあ、今もそうだけど。

 その夢から覚めた時、もう大学を卒業して10年経った事の絶望感、そして強烈な後悔を感じた。その後悔は卒論が上手くいかなかったことや、友達がほとんどおらずもっと学生らしい遊びをしたかったというものではない。それらはしょうがないと納得できるものだ。 

 別にいい。ただ、絶望し後悔すべきは彼女をつくろうともしなかったことである。そして、卒業から10年経った今まで彼女がいないことである。もうやり直しがきかないのである。何をしていたんだろうか。学生時代、他の人たちは盛んに交際していただろうに,

 一体なにをしていたんだろうかと愕然とする。そして、自分の中で大きく硬くて冷たいものとしての童貞としての自覚ががっちりと存在していることを感じる。

 

 そもそも、私の心の片隅で童貞はかっこいいものとして捉えている向きがある。もちろん、理性を働かせて、客観的に考えれば、童貞は私にとって人間的魅力の欠如と人生で何もしなかった証であり捨てるべきものである。しかし、私の中でこのかすかに残る童貞かっこいいと感じる感情はなんだろうか。幻想なのだろうと思う。ありのままの悲惨な現実を受け入れるのが耐えられない脳みそが童貞という観念さえほんの少しかっこいいと思わせるんだろう。

 

 ただ、それが幻想で捨て去るものであったとしても、その童貞という観念を35年間抱きしめてきた自分にとっては愛おしい観念だと思っている。100点満点中0点の人生もこいつを抱えていれば28点位の人生を歩めるのではないかと思っている。すかんぴんの路上生活者もアルコールがなければやっていけない人もいるだろう。そのアルコールがどんなに低質で体に悪いものであっても。

 

 今この瞬間のために、過去のすべてを捨てられなければ生きている価値がないというような文章を読んだことがある。まあ、分かる。でも、過去の辛い童貞経験と今まで抱きしめてきた幻想を捨て去って、明日から正常な恋愛経験積んだ連中に混じれというのか。あんまりにもやりきれない。でも、10年後の私に今の私を夢で見たとき後悔させないようにはしたい。あんな冷たい夢はたくさんだ。くそ、まいっちゃうなー。