人生半ばの童貞

36年のクソ人生を考える

失恋・35歳・童貞

 5年間ずっと好きな人が結婚するって聞いた日、涙が全くでなかった。ただ、胸が痛くてひたすらに苦痛だった。悲しみというかただ苦痛だった。10日経った現在、この苦しみはしっかり健在である。この苦しみは何だろうか。

 

 

 5年間もただの片思いだった。3回デートしてそれっきり何もない。それでも、毎日、好きな人を想わなかった日はなかった。素晴らしい風景を見たら、心の中の好きな人に語ったし、美味しいものを食べたら、同じものを食べている好きな人の顔を想像していた。まあ、朝起きた時、夜寝る時、小便している間とかちょっとした隙間時間でも好きな人の表情や声を想像した。出会って6カ月位で脈は完全になくなった。それ以降は好きな人のことを考えれば考えるほど、他の誰かと付き合ったり結婚したりする事実が分かった時に辛くなると思い、考えるのをやめようと思ったがやめられなかった。想うことをやめたかったが、好きな人のことを想うと幸せなのである。やめられない。アルコール中毒者がお酒飲んじゃうみたいな感じである。そして、止められず頭のてっぺんからつま先までしっかり好きな人のイメージに漬け込んで中毒なった後の結果が今である。

 

 そもそも、この胸の苦しみの原因は何だろうか。考えられる原因として3つ考えられる。まず、好きな人が結婚してしまう事実である。俺が片思いしていた人と結婚することは生涯の悲願である。この願いが叶えられれば他はどうなっても良かった。それが叶わなかったわけだ。確かに苦しい事実だがこんな日が来ることは覚悟はしていたつもりである。はっきり言えばしょうがない。当然のことである。何とかなるだろう。

 

 次に考えられるのは、上記の通り、好きな人の想像することが中毒になっていることである。しかし、10日前好きな人が結婚すると聞いた瞬間から、私の好きな人は消えたのである。もう神社仏閣教会で好きだった人との縁結びをお願いすることはないのである。アルコール中毒者にとってのアルコールがない状況である。今現在も、ついつい好きだった人のことを想像してしまうが、その度に、好きな人とその結婚相手が幸せに過ごしている光景が浮かび胸の痛みや呼吸の苦しさを感じる。でも、想う度に苦しくなるのであれば、いつか想うことはなくなるだろうと思う。これも何とかなるだろう。

 

 最後に考えられるのは自分を変えることができないのではないか、また同じようなことを繰り返すのではないかとの絶望からの苦しみである。好きな人の結婚を知った後、ただただ決定的な事実を知るまで自分をごまかす日々を過ごした自分の無様さ、反吐の出るような糞さ、醜悪さを痛感した。でも、醜悪な35年間だが別に手を抜いて生きてきたわけじゃない。なまけたこともあったが少なくとも上手く生きようとはしてきたのだ。これ以上できるのだろうか。変われるのだろうか。俺、35年間生きてきた35歳だぞ、童貞だぞ。変えれるのであればすでに変えてるだろう。糞。冷静に考えれば変われない。さらにもっと年を取るにつれてもっと悪くなるんだ。状況が、身体が。

 

 

 好きな人が結婚する事実を知る前の控えめに言ってウンコ以下の自分と、今の自分を比較すると、唯一の違いは今現在もひしひしと感じているこの胸の苦しみだ。あの5年間の片思いの成果物はこの苦しみしかない。他に何もない。この苦しみを忘れてしまうとウンコ以下の醜悪な自分に戻ってしまう。この胸の苦しみは永久に続いて欲しい。もう嫌だ。戻りたくない。繰り返したくない。変わりたい。死ぬほど好きだった人が別の男からのプロポーズを受け入れている瞬間も知らずにひたすら好きな人を想っていた完全に無様な自分には永久に戻りたくないのだ。我が胸の苦しみよ、永久に続け。俺にはお前しかいないのだ。何の希望も叶わないことをまぎわらす、ごまかしの日々はもうたくさんだ。