人生半ばの童貞

36年のクソ人生を考える

孤独が虚しさを連れてくる

私は一人が好きだ。

 

生まれつき一人が好きだったというより、小さいころから、女性にもてなかったり、友達ができなかったりする環境に自分の感性が適合させた結果だろうとは思う。もし、誰か一緒に暮らすというような奇跡が起きても、36歳だしもう一度、自分の感性を変えるのは大変だ。年取った野良犬が飼い犬になるには大変なのと同じように。

まあ、このまま一人でもいい。

 

だけど、困ったことにずっと一人でいることは空虚な虚しさを引き寄せてしまう。

何をするにしても、意味も意義も感じられない虚しい感じだ。

この虚しさは年をとることに体の芯にしみててくる。これから先もっと酷くなるだろう。堪えられるかどうか不安である。

 

でも、しょうがないよね。誰かと一緒に生きていくのも大変だしね。一人の方がまだましだろう。

言い訳

 私は36年間彼女がいたこともなければ、セックスもしたことがない。今日は12月25日。クリスマスで周りにカップルが目につく。そんな時は、いままでに何かやらなければいけない大事な事をやらなかったではないかという虚しくて悔しい気持ちが沸き起こる。

 

 ただ、言い訳をさせてもらえれば、私は一人が好きだ。もう人生の半分以上一人暮らしだし、孤独に耐えられる。子供の時から一人でいることに退屈したことがない。あと、孤独ってなんかかっこいい。カップルで旅行するより一人旅の方がかっこいい。翳がある感じがする。ロンリーウルフ。気持ち悪い話だが、心の片隅で誇らしくも感じている。

 万が一、彼女ができたら、週一回会わなければいけないなんて事もありうる。結婚したら一緒に生活するんだ。実際のところ、体験してみないと分からないだろうけど、頭で想像する限り耐えられそうにない。一緒に暮らすと部屋をきれいにしないといけないし、徹夜でシュミュレーションゲームとかできないだろうし、仕事以外の自由な時間を自分の為だけに使いたい。

 あと、頭の中で想像しているだけの概念上の女性は愛せるが、実際のタンパク質でできている女性は愛せるのだろうか。タンパク質の女性は概念上の女性よりあまりにも存在が巨大で複雑である。もし、私が女性と付き合ったら、私の愛情は重いから「付き合う」=「墓場まで付き合う」という決意で臨む。つまり、そんな巨大な存在を死ぬまで抱え込まないといけない心持ちでいないといけない。キツイ。落ち着かない。

 

 まあ、惚れちゃうとそんな考えも吹っ飛んじゃうんだけど。

そもそも彼女つくるとかとか不可能だけどね。酸っぱいブドウだね。あはは。

若いカップル

 古い居酒屋が好きでよく行くのだが、そういう酒場には人生にくたびれたおっさんが1、2人で飲んでいる様が似合う。時々、若いカップルが来たりすると雰囲気がぶち壊れる。カップルどもは邪魔で目障りなんだよ。キラキラしてんだよ。自覚しろ。ファミレスでも行ってろ。身の程をわきまえろ。まぶしいんだよ。酒がまずくなる。

 まあ、私も一人で夜景がきれいなスポットやおしゃれなカフェに行ってカップル達の雰囲気をぶち壊してやりますがね。私の様なおっさんは無言でただそこにいるだけでおしゃれな雰囲気がぶち壊れますからね。やられたらやり返すしかない。私は若いカップル達のサンドバッグじゃないんだ。先にぶち壊しに来たのはあいつらだ。

オナニーについて

 私は今まで数千回に及ぶオナニーをしてきた。今まで私が放出してきた何千億の精子どもは知っていたのだろうか。奴らがどんなに努力して先に進んでも、等しく何もないことを知っているんだろうか。

 もし、私の精子どもが生まれ変われるのであれば、今度はヤリチンの精子に生まれ変わって欲しいものだね。

息子

山田洋次監督の息子は私が1番好きな映画である。

中学生の時、学校の体育館で見せられたのが最初だ。寒い日だったことを覚えている。

高校卒業してからは一人暮らしをしたが、時々ふと、この映画のことを思い出した。

そのたびに観た。

この映画に出てくる東京が私の東京のイメージだ。

そんな東京でこの映画の主人公である哲夫みたい恋をして、哲夫みたいに仕事して、哲夫みたいに生きる。

学生の時そんな予感がしていた。何度も観たせいかもしれないけど。

人生も半ば過ぎて、その予感は外れてしまったことは分かった。

気が付けば、映画に出てくるたきさんみたいな人生になってしまった。

でも、私にとって、この映画の実感というかリアリティというか本当さみたいなものは未だに薄れていない。

祭り

四月から転勤した私は週末のたびに周辺の町に一人で泊まりでフラフラしている。今も旅先でこれを書いている。

時々、フラフラ散歩していると何かしらの祭りやらイベントがやっている。これからの季節は夏祭りやら盆踊りやら祭りが増えてくる季節だ。

 

思えば、今までも祭りみたいなイベントとは無関係に暮らしてきた。学生の時は行きたいとは思っていたけど、友達に誘われなかったし、一人で行くものでもないからね。楽しい出来事が起こってそうな場所を遠くから眺めることしかできなかった。

 

これからも家族を持つことがない私には祭りとは無関係なんだなあと旅先の祭りを眺めながら思う。世界中、日本中で祭りという特別な日に美しい出来事や興奮することが自分とは関係なく起こっているんだろうと思うと胸が締め付けられそうになる。私にはハレの日は来ない。

 

祭りみたいなイベントごとではないけど、今日は父の日である。これは私にもコミットできるイベントではある。電話を一本入れるかあ。